上松町公民館研究集会に参加しました 2017年7月8日

〇 上松町公民館について

 上松町は長野県の西南部木曽郡にある人口4600人の町です。新関脇御嶽海の出身地としても知られています。

 会場の上松町公民館は平成20年に改装された建物で、入り口には授産施設としての喫茶があり、社会体育館も隣接しています。この体育館と上松町小学校とは渡り廊下でつながっていることで、体育館や公民館は学校の授業にも使われているそうです。また立派な図書館も併設されており、学校の放課後には小学校の子どもたちで公民館はあふれているそうです。また様々なトレーニング器具やボルダリング用の壁が供えられたスポーツルームもある、とても素晴らしい建物でした。

 トイレやエレベーターなど館内の表示もかわいらしく、スタッフにお聞きしたところ、国の名勝に指定されている「寝覚ノ床」に残る昔話を題材にした町のキャラクター「太郎くん」と樹齢300年を超えるヒノキが林立する日本の三大美林「赤沢美林」から名付けた「美林ちゃん」、そしてエレベーターに表示されたカメは太郎君を乗せたカメだそうで、公民館の雰囲気をとても和らげる効果を上げていました。

 

〇 公民館研究集会

 上松町には公立の公民館のほか、29の分館があります。この日は本館の専門部員や分館役員の皆さん約40人が参加されました。

 研究集会全体のテーマは「つなげる・つながる・あなたが主役」。前半は私の基調講演、演題は「公民館は、村を育つる慈母である~地域づくりと公民館」、後半は4つに分かれた分科会です。分科会のテーマは「第1:懇親会に手作りおつまみ」「第2:窓ガラスをキャンパスに。キットパスアート」「第3:上松のいいとこ発見、意外な町の宝」「第4:公民館活動でできる元気な町づくりとは」。私は第4四分科会にも参加させていただきました。

〇 公民館は村を育つる慈母である

 私からの話は、まず若者たちの田園回帰で知られている島根県邑南町の例を紹介し、盛んな地域づくりの土台には公民館活動があることを紹介し、公民館活動を大事にし、その活動で培った地域の人々のつながりや活動を通して育った地域の担い手が、田園回帰など持続可能な地域づくりの力になるのではないか、という問題提起をさせていただきました。私の演題に引用した「公民館は、村を育つる慈母である」という言葉は、飯田市竜丘公民館が竜丘村公民館であった昭和23年3月、公民館の発足式の時に当時の村長のあいさつ「村政が村を守る厳父であるとするならば、公民館は村を育つる慈母である」から引用しました。

 

〇 公民館は観客のいない芝居である

 また竜丘公民館発足式に発行された公民館報たつおかに初代教養部の代表橋本玄進さんの「観客のいない芝居」という文章を引用させていただきました。

 「公民館ができた。規則も組織も一応きれいに出来上がった。さて何が始まるだろうかと、皆がかたずをのんで、開幕前の芝居のように舞台の方を見ている。そんな格好に見える。しかし、そういう観客ばかり多いと、いつまでたっても公民館の幕は開かないかもしれない。公民館には特定の役者も演出家も用意されていない。舞台装置も脚本家も何もかも一切合切皆でやるのだ。そして観客は誰もいないのである。面白い芝居を観ようとするのではなく、良い芝居を演じようとするのである。そして一人一人が皆そろって千両役者や偉大な演出家になろうとするのである。公民館には観客は一人もいないのである。」

 大会が行われた会場入り口には、こんな看板がかかっていました。「あなたが主役」。「民主主義の学校」「戦争で荒廃した郷土復興の拠点」として誕生した日本の公民館はもともと、それぞれの地域に暮らす住民自身が自らの手で運営する施設として誕生したことがこの言葉から読み取れます。そして長野県の公民館には今も専門委員会や分館制度といった住民が主体となって公民館を運営するための仕組みが残っています。上松町公民館研究集会に参加して、そういう気風をしっかりと感じることができました。

 

〇 公民館でできるげんきな町づくり

 私が参加した第4分科会「公民館活動でできる元気な町づくりとは」には、分館の教養部長や社会部長、公民館長、町議会議員さんが参加されていました。公民館大会の分科会に町議会議員さんが当たり前のように参加されるのも長野県ならではかな、と感じました。

 分科会では町の各地区で子どもの数が減り、それに対して高齢者が増えている現状を踏まえて元気な街づくりを進めるために公民館ができることについて意見交換しました。

 印象に残る意見を紹介します。

 「最近は地域の中で子どもたちが本当に少なくなった。それに対して高齢者の数は大変増えている。これからの公民館活動は高齢者のことを中心に据えていった方がいいのではないか。」

 「高齢者だけ、子どもだけで考えるのではなく、高齢者も子どもも働き盛り世代も一緒になって行う活動が大事だ。子どもたちはいろいろな大人たちに囲まれた環境の中で育てていくと、地域のことを大事にした子どもに育ってくれるはず。」

 「近所の年寄同士公民館で盆栽や陶芸などの活動を行っている。そういう仲間の年寄と毎日のように散歩をしていたが、ある日一人の仲間が顔を出さず自宅に立ち寄ったところ無くなっていた。亡くなったときは80を少し超えていた。一人暮らしのお年寄りでみとることは出来なかったが、無くなってすぐに知ることができた。今考えてみると、公民館活動を通し日常的なつながりが大事なのだと感じた。」

 「そのお年寄りは亡くなる直前まで元気に暮らしていた。それは仲間との関係や共通の趣味など日常のつながりがあり、そういう生きがいがあったから、亡くなる直前まで元気に暮らすことができていたのではないか。」

 分科会に参加したのは40代から80代までの多彩な世代で、そういう世代の方たち同士でこんな会話が普通にできるのも日常の公民館活動を通したつながりがあってのたまもの、と感じました。

 

〇 上松町をモデルに「船木ゼミ」を

 大会には大屋誠町長、村田広司副町長、植原一郎教育長も参加されていました。大屋町長の前職は南信教育事務所長、村田福町長と植原教育長は私と同世代でかつて同じ時期に公民館主事を務めていました。特に村田副町長とは長野県公民館運営協議会主事会の幹事長と副幹事長を務めた中で、その後もずっと親交があります。

 大会終了後、村田副町長から、住民主体の地域づくりを進めるためには公民館主事だけでなく、村職員全体の力量をもっと高める必要があり、ぜひ力を貸してほしい、という相談がありました。

 木曽郡においては上松町をモデルとし、周辺町村職員や地域振興局に所属する県職員などにも場を広げた「船木ゼミ」に取組んでみることはできないか、村田副町長と話を進めてみたいと考えています。