長野県職員チームで石巻を訪問しました 2017年9月9日、10日、11日

 9月9日(土)から11日(月)にかけて、長野県地域振興課、楽園信州移住推進室、文化財生涯学習課の職員6人が、船木参与の案内で石巻市を視察しました。

 

 1 訪問の目的

 メンバーは県内中山間地域において社会課題の解決を事業的に解決するための仕組みづくりを考えるプロジェクトメンバーです。

 現地視察先は、全国各地で、社会課題を事業化するアントレプレナーシップをもった人材を育てる取り組みを進めているNPO法人ETICで石巻震災地の復興の取り組みを支えている同法人右腕トレーナーの配島一匡さんにコーディネートしていただきました。

 最初に訪れたのは女川町の女川プロムナードです。ここは震災後の町の中心に新たな商店街としてオープンしたスペースで、もともと町でお店を営んでいた事業者の皆さんとETICがつないだ起業家のみなさんが出店するとてもおしゃれな場所でした。ダンボールギーニで有名なお店もあり、観光スポットにもなっています。

 2 雄勝町のMORIUMIUS

 9月10日(日)最初の視察は石巻市雄勝町にあるMORIUMIUSです。MORIUMIUSは地域に残る廃校を利用した体験宿泊施設です。この日は学習リーダーの安田健司さんにお話をお聞きしました。

 雄勝町は町全体が半島にあり、市街地からも大変遠い場所にあります。震災前は人口4000人の地域でしたが現在は1000人に激減。道路事情が整備されておらず、地元の産業は漁業。働き盛り世代は仕事を求めて地域から流出。多くの住民が高齢者です。

 MORIUMIUSとはMORI(森)UMI(海)US(私たち)を組み合わせた言葉です。大正時代に造られた旧桑浜小学校が廃校となり、この施設をリノベーションし2015年から活動が始まりました。その名の通り、森や海という地域の資源と地域に住まう人たちの力を活かした体験教育施設です。

 都市の小中学生を対象とした体験キャンプが活動に中心です。地域の子どもたちを対象とした総合的な時間の体験活動、学生や社会人のインターンシップ受け入れなども行っています。

  「サスティナビリティ」「ローカル」「ダイバーシティ

 

 施設運営の基本理念は「サスティナビリティ」「ローカル」「ダイバーシティです。活動は「子どもや若者への教育」「交流人口の獲得」「住民参加」「地域経済への貢献」をねらっています。

  安田さんのスイッチ

 

 説明をしてくれた安田さんは千葉出身で29才、24才で学生だった当時震災が起こり災害支援のボランティアがきっかけで移住されたそうです。現在のスタッフは8人、どなたも震災を契機に参加された方たちですが、JICAボランティアやリゾート会社など前職はまちまちです。

 安田さんはこの仕事を、地元漁師さんの手伝いと掛け持ちながらこの地で暮らしています。

 安田さんに地域の方たちとの関わりの中で感じていることをお聞きしたところ、漁師の仕事のすごさについて話していただけました。

 「経験に裏打ちされた合理的な動き、今やることを瞬時に決める判断力などプロの仕事がすごい。それから人間臭く、自分を偽らず裏表がない。自分というものを持っている。かっこいいです。」

  人が育つということ

 

 飯田市公民館主事の小島一人くんが「高校生講座カンボジアスタディツアー」の、高校生たちの育ちの中から若者たちが育つきっかけについて次のように整理してくれました。①かっこいい生き方をしている大人たちに出会うとき②心から相談できる友ができたとき③自分が誰かの役に立つと感じたとき④自分たちの経験を整理して誰かに報告するとき。

 安田さんの育ちもこの4つの定義にまさに当てはまります

  学びの県信州

 

 長野県は来年度からスターとする総合計画の柱の一つに「学びの県信州」を組み込むための準備を進めており、その中でSNSの飛躍的な広がりを介したバーチャルな学びが着目されていますが、人の息吹まで実感できるリアルな人との関わりの中で学んでいくことが「学びの県信州」の根底に必要であるのではないかと改めて実感することができました。

 そして何よりも計画を作る県職員からそういう学びに向き合うことが大切であると考えています。

 3 We are ONE北上を訪問

 9月10日(日)の午後の最初に訪問したのは、石巻市北上町ある復興まちづくり情報交流館です。この施設の指定管理を受託している(一社)WE are ONE 北上代表理事を務める佐藤尚美さんにお話しをお聞きしました。

  代表理事の佐藤さんに伺う

 

 佐藤さんはもともとこの地区に暮らす専業主婦でしたが、震災によりお連れ合いを亡くされ、自立の必要に迫られたことがきっかけで震災の年の6月に組織を立ち上げました。

  自分たちの問題を自分たちで解決する「自治」を行う

 

 組織の理念は「当たり前の暮らしが、普通にある地域~地域の担い手に良い仕事を生み出す」です。具体的には①女性の雇用②子どもの居場所③大学生のフィールドスタディの受け入れ④古民家活用⑤レンタルオフィス⑥地場産品の開発⑦白浜海水浴場海開きイベントです。地域で必要なことを行政に頼りきらず、自分たちで生み出す仕事です。

  学ぶことから始める

 

 暮らしを再建するために必要なことを考えるために、情報を集め、そういう現場に自分たちの足で出向き、学びを重ねるという取り組みを重ねてきたそうです。特に島根県雲南市で取り組んでいる地域運営組織の取り組みが参考になったそうです。

  民主主義とは話し合いに基づく全員同意

 

 取り組みで一番印象に残ったのは、集落住民の集団での高台移転の支援です。

 移転する先、道路や街並み、家の配置など、移転のためには様々な決めごとが必要で、特にどの家にどの家族が住まうのかということは、それぞれの家庭の人間関係などを考えると大変難しく、他の被災地では、抽選で決めることが一般的だったそうですが、WE are ONE北上ではすべての集落で全員が同意するまで話し合いを重ねたそうです。

 飯田市役所の大先輩で飯田市中心市街地の再開発に取り組んだ高橋寛治さんは、民主主義の原点は江戸時代の村寄り合いで、それは全員同意であったと話してくれたことを思い出しました。

 実は飯田市中心市街地の再開発はエリア地権者が組合を作り実施する組合施行という方法を選択したのですが、この場合全員の同意をとることが必要で、そのために大変時間と労力が必要でした。

 しかしそういう話し合いを重ねることで、皆が納得するということは、結果に全員が責任を持つということです。

 佐藤さんのお話しをお聞きしていると問題に直面したときは、先進地を視察するなどまず皆で学習することから始めています。

  学びの県信州について

 

 長野県が次期総合計画の柱の一つに「学びの県信州」を掲げていますが、これは学ぶことが目的ではなく、まず自分や仲間の前に課題があり、その課題を解決するために必要な行為が学ぶことであり、そういう学びを大事にすることが「学びの県信州」の意味するところではないかととらえました。

 4 イシノマキファームを訪問

 9月10日(日)夜は合同会社巻組事務所で、同社社長渡邉亭子さんと(一社)イシノマキファームの高橋由佳さんのお話をお聞きし、そのまま懇親会も行いました。 

 

 生きづらさを抱えた人たちの社会参加を仕事に

 

 

 イシノマキファームは障害を持つなど何らかの生きづらさを持つ方たちの社会参加を、農業を通して支えることを目的とした会社です。

 代表の高橋さんは、社会福祉士で、もともとは病院職員でしたが、その後、精神障がい者の就労を支援する(一社)スイッチを設立。この代表も兼ねています。

 スイッチの取り組みでは、年間で50人を超える方の職場参加を実現しており、このこと自身が、事業者として類を見ない成果だそうです。しかしいったん就職がかなっても、一年ほどで離職してしまうケースも多く、定着が課題ととらえています。

 そこで高橋さんは、農業という仕事が障害を持つなど生きづらさを感じている人たちにとって、自立に向かう力を持っていることに着目したそうです。そこで設立したのがイシノマキファームです。

 

 農家を改修した拠点で

 

 

 この日はちょうど古民家を改修した活動拠点がオープンした記念日でした。

 石巻市北上町の集落の中にある拠点では、スタッフの皆さんと二匹の犬が私たちを迎えてくれました。

  税金を納める側に立ちたい

 

 高橋さんのプレゼンテーションを通したその考え方の端緒は、少子高齢人口減少社会の深化がもたらす社会保障費の増大による国の財政危機を見通した上で、社会保障制度だけに頼らない、自立の備えを考えようという課題意識の上でご自身の取り組みを考えておられます。つまり持続可能な社会の創り手の一員としてご自身の仕事のあり方を考えておられます。

 もう一つ、障害を持つ方ご自身との会話の中から、社会保障の受け手から、納税者として支え手となることで、本当の意味での社会の構成者となるのではないかという見通しを持たれています。

  地域の中に着実に根をはること

 

 農業で生業を立てていくためには、遊休農地などをお借りしながら事業を成り立たせていくことが必要で、そのためにも協力者としての地域との関わりはなくてはなりません。

 この日の夜の懇親会に、高橋さんはたくさんのお赤飯を持参して駆けつけてくれましたが、これはオープンした記念に、ご近所の方が持ち込んでくれたものだそうです。

 そういう地域との関係性づくりも丁寧になさっていることに感銘しました。

  自分自身が腹を固めることから始まる

 

 二日間の視察を通して出会った方たちに共通するのは、最初から飛び抜けて力があったから、というわけではなさそうです。ここで自分はこのことをやるのだ、と腹を固めることが何よりも大事であると感じました。

 その上で自分のやりたい仕事を全うするために、問いを持ちながら行動し、力をつけていったのではないかととらえています。

 

5 空き家のリノベーションとマッチング 合同会社巻組

 9月10日(日)のゲストのもう一人は、合同会社巻組代表の渡邉亭子さんです。

 渡邉さんは東京で建築を学んでいた大学院生時代に震災が起こり、震災ボランティアと関わったことが現在の活動の始まりです。

 会社の仕事は石巻市の市街地にも郊外にも増加している空き家を、利用希望する方たちと大屋さんとの間をつなぐ仕事と、使いやすい家とするためのできるだけ費用をかけないリノベーションです。

 特に震災をきっかけとしてまちに自分の役割を見いだした若者たちの住まいや仕事場として使われるケースが多いようです。

 イシノマキファームの拠点「AOYA」も巻組の仕事です。

  たくみな人のつなぎ方

 

 日本中で空き家の増加は共通した課題ですが、なかなか成功例を聞くことがありません。

 まず空き家の仲介は不動産業にとっても手数料での儲けはあまり期待できず、仕事とする例は少ないようです。

 また大屋さんと利用希望者の相対で話をする場面をつくること自体が困難です。

 そこで渡邉さんは大屋さんにとっての思いや利用者のニーズそれぞれを把握し、そこに空き家のリフォームという仕事を加えた第三者としてのマッチングという仕事を考え出したそうです。

 空き家問題は、大屋さんにとって、空き家とはいえ、自分にとって思いのある家を他人に渡すことへの抵抗がありそこが難しいとよく聞きます。

 しかし渡邉さんが大屋さんと話をしてみると、そのまま使われずに朽ちていくよりも、きれいに役立ててくれることを希望する人が多いということがわかったそうです。

 この日はちょうど巻組にインターンシップとして通っている二人の大学生が参加していましたが、彼女たちも実際に大屋さんにインタビューする仕事を任されているそうで、どの大屋さんもしっかり話をしてくれるそうです。

 大事なのはコミュニケーションであるようです。

 

〇 自己実現と社会課題の解決を重ねる

 訪問した方たちに共通するのですが、自分自身の仕事を地域の課題の解決と重ねた生き方をしようとすると、目の前の課題を解決するだけにとどまらず、社会全体のあり方を見通す視点が必ず備わります。というよりもそういう社会視点か備わることで、目前の問題解決に至るのではないかと感じました。

 こういうお話を聞いていると、仕事というものは本来おしなべて、地域や社会の問題を解決するためにあるのではなかったのかと思い至りました。

 

6 自分たちの健康を自分たちで守る(一社)りぷらすの活動から

 9月11日(月)最初に訪れたのは(一社)りぷらすです。代表理事の橋本大吾さんは茨城県出身で理学療法師です。震災ボランティアがきっかけで石巻に移住されました。

りぷらすの仕事は大きく分けて二つ。

 一つは要介護や要支援など、披介護者に対する支援の活動と、介護する側の方たちへのサポートです。

 設立は2013年1月、スタッフは正社員が9人、パートが5人、正社員のうち5人が移住者された方です。

  要介護からの卒業

 

 橋本さんの話で一番印象に残ったのは、要介護や要支援の状態からの卒業という話です。

 石巻では要介護や要支援の方の割合が2011年から14年にかけて20%増加しました。仙台市が14%、全国が13%の増加であることと比べると飛び抜けて高い状況にあるそうです。

 これは震災の影響が大きいようです。

 つまり震災により隣近所との関係が断たれ、また商店や様々な福祉サービスから遠ざかったことで、家居の時間が増え、このことにより寝たきりになるケースが多く生まれてしまったようです。

 1986年国連保健機関(WHO)は健康に関する「オタワ憲章」を採択しました。これは人々の健康が実現するためは、身体的な健康や精神的な健康にとどまらず、平和や教育、社会正義など、様々な社会的な課題の解決まで統合的にとらえることが必要という内容です。

 それは一度寝たきりになったとしても、人との厚い関わりを通した本人の生きる意思の向上など、適切な支援を行うことで、介護の状態から脱することができるということです。

 実際にこれまで要支援2から要介護2までの状況の方のうち11人が介護から「卒業」されたそうです。

 これから始めようと考えている取り組みは、「想いの架け橋~訪問健康見守りサービス」という、介護が必要になりそうな人を支える取り組みです。訪問、見守りなどを通して介護状態にならないための予防や介護の必要な状態となった場合に精度につながることなどがその内容です。

  制度に頼らずに自ら健康な状態を保つ

 

 もう一つ印象に残ったのは、健康づくりサポーターの育成です。橋本さんによると寝たきりになる一番のきっかけは関節痛だそうです。その状況に至らないための、自分でできる運動があるそうです。けれども話で聞いていても中々一人では実行できず、そのためには仲間と共に楽しみながら実践することが有効です。

 健康づくりサポーターは、そういう皆が集まる場づくりと、そこでの介護予防の運動を指導する役割です。現在104人の住民が養成講習を受講して活動されているそうです。

 少子高齢人口減少社会の深化とともに社会保障に関わる費用は増大し、団塊の世代後期高齢者となる2025年が、制度破綻のリスクの生じる境目ととらえられているようです。

 そういう危機の状況をあらかじめ見据えながら、自分たちの健康を自分たちで守る「健康自治」の取り組みは重要です。

 

7 カフェ「はまぐり堂」を訪れました

 9月11日(月)はお昼に石巻市蛤浜にあるカフェ「はまぐり堂」を訪れました。蛤浜は雄勝半島にある小さな漁港で、もともと9世帯が暮らしていましたが、3月11日の津波被害を受けて現在は、2世帯5人だけが暮らしています。この地にカフェをつくったのは「はまぐり浜再生プロジェクト」代表の亀山貴一さんです。亀山さんは蛤浜生まれで35才、漁師の父親の仕事にあこがれて高校・大学と水産を学び、宮城県水産高校に勤めていましたが津波被害の後2013年に高校を退職し、はまぐり浜再生の仕事に取り組んでいます。

 私たちはまずカフェ「はまぐり堂」でお昼をいただき、そのあと亀山さんたちのお話をお聞きしました。

  スタッフは8人のUIターンの若者たち

 

 プロジェクトのメンバーは8人。このうち4人がUターン者で、教員、児童館スタッフ、アーティスト、ダイバーです。Iターンの4人は、重機オペレーター、広告代理店、パン屋さん、大学事務員です。

 ダイバーの宮城了大さんは石巻出身、震災後の行方不明者の捜索や海底の掃除の活動が縁でプロジェクトに参加し、現在は浜に手作りのハウスを作り、マリンスポーツの体験を中心とした活動に取り組んでいます。狩猟の免許も取得して周辺に生息している鹿の猟師としても活動しています。

 クレーンオペレーターの島田暢さんは種子島出身、震災ボランティアをきっかけに活動に参加、手作りハウスや家具作りなどモノづくり全般を担当しています。

  「暮らし」「産業」「学び」から地域を再生する

 

 再生に必要なものを「暮らし」「産業」「学び」ととらえ、これら取り組みを通して生まれ育ったふるさとを浜の人たちと残したいと取組みを進めています。

 亀山さんは最初、蛤浜をどのような場所にしたいのかイラストにまとめ、地域の方や知り合いに協力を求めましたが、仲間が集まりません。そこで手始めに自身が津波被害で荒れてしまった漁港の泥カキ、がれきの撤去、砂浜の掃除などに取り組みます。そこに集まった仲間たちからようやく活動が始まったそうです。

 そして亀山さんは全国各地、頑張る取り組みの現場があるとどこにでも出かけ、それらの取組みから学び、2013年3月11日カフェはまぐり堂がオープンしました。

 亀山さんはこの場所を「元住民も立ち寄り」「外部の方たちにも魅力を発信し」「6次産業の拠点」として育てていきたいと考えています。具体的な活動は「イベント」「浜料理の提供」「クラフト製作・販売」「BBQ」「ツリーハウスの建設・活用」「自然学校」「結婚式」などですが、実家を改修したこの場所は、市街地から遠く離れ、道路も狭隘な場所にありますが、1日当たり土日が100人、平日が70人、年間1万5千人の利用者がある施設としてにぎわっています。

  6次産業化の取組みとして

 

 亀山さんの活動を一言で表すと持続可能な地域づくり。6次産業化の試みとして取り組んでいる活動の一つである森づくりは、森の木を「切る」→「運び出す」→「製品を作る」→「売る・あるいは使う」→「再び木を植える」という、1次産業としての林業、加工する2次産業としての製造業、それを売る・あるいは使う3次産業をかけあわせた6次産業としてとらえています。亀山さんはこの循環の取組みを1次産業である林業から始めるのではなく、3次産業である販売の視点から始めることが大事であるととらえています。一本の杉の木をそのまま売ると7,000円ですが、質の良い家具に仕上げて売れば24万円になりました。つまり川下である3次産業の家具の販売から考えると、林業としての価値も確保することができるということです。

 そしてこういう取り組みを持続するためには「学び」が重要になります。つまり最初に「地域を知り、地域の中で誰かの役に立つことにチャレンジし、そういう取り組みを通して地域のことが好きになる」取組みから出発し、次に「他地域での学習経験を積み」、そして「地域に戻り、将来に向かって動き出す」というサイクルとしてとらえていくことが大事であると考えています。

 いくつか心に残る話を紹介します。

  「アウトサイドイン」から「インサイドアウト」へ

 

 一般的な企業経営も自治体の仕事も、これまで目標を定めてから目標に向かって計画を立てる「アウトサイドイン」という方法をとってきましたが、これからは組織の一人ひとりの力やチーム全体としての力を蓄えたうえでやるべき仕事を共有し、取組みを広げていく「インサイドアウト」という方法が大事です。

 「インサイドアウト」を地域に当てはめると、地域コミュニティの再生がまずあり、そのことを土台として魅力ある仕事や暮らしを作り、この地を魅力ととらえて交流する人口が広がり、住む人が生まれていく、というステップになります。

  これからはローカルに可能性とチャンスがある

 

 ローカルな場所は、利用価値が低いとみなされ、土地代や賃料が安く、このことを逆手に取ると競合の少なさや、物々交換や手間の交換など貨幣経済を介さない交換経済を活かすことで、可能性とチャンスがあります。

  一人ひとりが主役の船団方式で

 

 亀山さんは自分たちのプロジェクトを会社ではなく「はまのね船団」ととらえています。マリン、カフェ、漁業、林業、鹿利用というそれぞれの取組みを、一つひとつを起業家ととらえ仲間として協力しあいながらも、自らの力で仕事を切り拓いていくことを大事にしたいととらえています。

 これまでは地方で高校生活まで送り、大学に入り、都会の企業で働くというライフスタイルが中心でしたが、ローカルベンチャーで起業するというライフスタイルが広がっていく時代ととらえています。

  Knowing→Doing→Being

 

 亀山さんのところには、ハーバード大学ビジネススクールからの視察もあり、この取り組みは「ハーバードは日本の東北で何を学ぶか(ダイヤモンド社)」という本でも紹介されています。ハーバードの皆さんはここで学んだことを、Knowing(知識)」→「Doing(実践)」→「Being(どう生きるか)」とまとめてくれたそうです。

 これまでは「あるべき姿」を振り返っていましたが、これからは「ありたい姿」を想像し、そういう姿を実現するために活動し、そのことによりよい地域や社会を作り上げていくことが必要、ととらえているそうです。

  よりよい仕事・生き方をするために必要な「学び」

 

 長野県では、次年度スタートする総合計画の柱の一つに「学びの県」という考え方を盛り込むための検討を進めています。今回石巻で出会った人たちに共通している姿勢の一つは「学び」です。ここで自分は生きていこうと決め、そして自分の役割が見えてきたときから、どの方も、よりよい仕事・生き方を作るために行っている活動はすべて学びでもあります。

 長野県に暮らす多くの方たちが、そういう学びに裏付けられた生き方・暮らし方・働き方を送るような「学びの県」としていくことで、地域に魅力が生まれ、訪れたい人、暮らしたい人が広がっていくような県づくりができることを考えていきたいと思います。

 

8 広石拓司さん~石巻視察から何を学びとるか

 empublic広石拓司さんのお話から

 今回の視察の二日目に㈱empublic代表取締役の広石拓司さんが同行してくれました。エンパブリックは、地域・組織の人を活かす仕事づくり、場づくりのノウハウを体系化し、多くの人が使える ツールやワークショップとして提供する会社です。

 それぞれの視察現場で活動されている方達のお話を受けて、船木さんや広石さんがそれら取組みの意味づけをしてくれるという、現場視察と振り返りをセットで行うという大変贅沢な研修でした。

 印象に残る話をいくつか紹介します。

  自分のやれることがやれる場所に移住する

 

 今の若者たちは、自分がやれることがやれる場所に移住します。やりたいことができる場所を求めています。そして地域の中での自分を包んでくれる様々な人間関係も求めています。そしてそこでオンリーワンとして生きられるところに移住を選択します。

  自分が求められている場所に居場所を見つける

 

 自分がいてもいなくても変わらない場所ではなく、自分がここに居なくてはいけない場所、中山間地域がそういう場所であれば若者はそこに移住します。例えば交通の便が悪いこともメリットになります。便の悪さをカバーすることを自分の仕事とする、例えば交通手段、例えば移動販売など、不便がチャンスとなり、そのチャンスを出番として自分の居場所として選択する。そう考えると都会は、20代の若者たちが考えていることを活かせない場所になっています。

  持続可能な地域づくりのための6つの資本の視点

 

 これまでの社会は、地域活性化をイコール経済活性化ととらえて取組みを進めてきました。企業においても最近は、財務状況の評価だけでなく、加えてESG(E=environment:環境、S:social:社会的公正、G:governace:統治)の視点を加えた統合評価が必要な時代になってきているそうです。

 統合評価のためには6つの資本の概念が必要です。それは「①財務資本」「②製造資本」「③人的資本」「④知的資本」「⑤社会関係資本」「⑥自然資本」という6つの資本です。人的資本とは組織で働く人たちのこと、知的資本とは組織が取り組みを進める上で持っている知恵、社会関係資本とは組織が存立する周りの地域や人との良好な関係、自然資本とは一方的に自然からの恩恵を受けるだけでなく恵みを返していくことができる循環の視点ととらえたらよいでしょうか。

 自然資本の例としてはコカコーラのウォーターニュートラリティという取組みがあります。これはコカコーラとして販売するために必要とした水資源を回復するための水資源の造成に必要な森に投資をしていくという取り組みです。この場合コカコーラという製品に占める水の量にとどまらず、ビンの洗浄水など製造の工程すべてに必要な水の総量、すなわちアウトオブウォーターを指します。

  自治体にも求められる統合的な指標

 

 自治体の計画づくりでも最近はKPI(K:key:カギとなる、P:performance:達成度を示す、I:indicator:指標)が求められていますが、これからは上記6つの視点を統合した指標作りが求められる時代です。

 そういう指標作りに成功した自治体はまだなく、長野県がそういう指標に成功すれば、他地域に先駆けるお手本となります。

  6つの資本の視点を統合的に進めるガバナンス

 

 これら6つの視点を統合した自治体運営が行われるためには、トップマネジメントの意思に基づき組織の構成員が自分の役割を発揮していこうとする従来型の「ガバメント」ではなく、組織の構成員一人ひとりが主体となって組織の進むべき方向の意思決定に関わっていくことができる「ガバナンス」が必要です。

 

9 船木成記さん~石巻視察から何を学びとるか

 長野県参与 船木成記さんのお話から

 今回視察に参加した長野県参与の船木成記さんが、それぞれの訪問場所で、意味づけしていただいた話をいくつか紹介します。

  制度的公共圏について

 

 行政の所管する公共の仕事は「制度的公共圏」と定義されています。これに対して石巻の現場では例えば「(一社)りぷらす」が、介護制度の枠手前の方たちに介護予防の取組みを提供していますが、こういう公共以外で提供する公共的な仕事は「非制度的公共圏」と定義されます。しかしたとえば「りぷらす」のこの取組みが、他地域にも広がり、行政の仕事に位置付けられれば、それも「制度的公共圏」の枠に入り、逆にこの成果によって従来型の公共の仕事がなくなることもあり得ます。

 つまり「制度的公共圏」は常に時代や社会の必要により変動していくもの、と行政の職員はとらえておくことが必要です。

  融資から投資へ

 

 石巻に出会った人たち一人ひとりの活動ぶりを見ていると、はじめから事業として成立しているわけではありません。

 行政が民間事業者などに補助金などを渡すとき、これまでは相手の実績などに基づいて、その補助金により具体的な数値成果を上げるかどうかで判断してきました。これを融資的視点ととらえます。この視点からは、彼らに行政が補助金を渡すという視点は生まれません。

 彼らに対して行政が補助金を渡すためには、彼らの人と思いを信用し、彼らであれば地域の現状を打開してくれるのではないか、という視点に基づいて補助金を渡す姿勢が必要です。これを投資的視点ととらえます。

 これからの行政は、融資的視点から投資的視点にシフトしていくことが必要で、そういうところからイノベーションは生まれていきます。

  県と基礎自治体の役割分担

 

 3月まで兵庫県尼崎市という基礎自治体で仕事をし、4月から長野県で仕事をしてみて同じ自治体であるにもかかわらず、その組織風土の違いを感じています。

 基礎自治体は仕事の先に直接住民がいることから、住民のリアルな暮らしと結びついて政策を作ることができます。しかしそういうリアルな現場に忙殺されて、なかなかビジョンを持った仕事を進めることが難しい現状があります。

 これに対して県の場合は、こういう住民との直接の関わり一歩引いた場所に居ることから、コンセプチュアリーの視点を持つことがより可能な立場です。

 しかしコンセプチュアリーな仕事を進める上でも、住民との関わりのあるリアルな現場の実態を肌で感じる機会や感性は必要です。その意味で今回の石巻の視察は、現場のリアリティを学ぶ意味でも大変意義があります。

 

10 石巻訪問を終えて

 濃密な3日間

 

 9月9日(土)夜に石巻入りし、10日(日)、11日(月)の正味2日間の視察でしたが、ETICが復興支援のそれぞれの現場で「右腕」として支えるメンバーの一人蓜島一匡さんによるコーディネート、蓜島さんとともにETICで社会起業家支援のメンターも務める長野県参与の船木成記さん、船木さんの友人で地域や組織の人づくり・場づくりを仕事とするenpbulicの広石拓司さんによる現場での意味づけがあったことで、通常の視察では得られない濃密で深みのある中身となりました。

 今後は参加メンバーによる振り返りの機会を設け、それぞれのメンバーが受け止めたことの共有と、この経験をこれからの仕事にどのように生かしていくかというビジョン作りを行うことになりますが、とりあえず私自身の受け止めたことを紹介します。

  共通する姿勢

 

  • まずは、地域や社会の問題に向き合う取り組みの事業化とはどういうことなのか、具体的に知ることができたことが収穫です。そしてどの方にも共通する姿勢があることがわかりました。
  • 自分自身がそこで生きるという覚悟を持ってはじめたこと。その姿勢から始めることで、仕事を進める上でのさまざまな課題の解決に結び付けることができたこと。(当事者性)
  • その場所に自分の役割があること。
  • 仲間や自分の活動現場である地域の人々とのつながりを大事にし、そのつながりに助けられることで仕事が成立していること。
  • 常にこの仕事を通してどういう場を作りたいか、そういうビジョン(ありたい姿)を持っていること。
  • 自分自身の現在の仕事の延長に、地域や社会の課題とその解決、社会の変革までも視野に入れていること。
  • そう自分の思いを人に伝えられるように、自身の取組みを構造的にとらえられていること。
  • 仕事を通して常に自身が成長(変化)し続けていること。
  • 仕事の中身を創造するために、他地域の人と事例の現場に足を運び、学び続けていること。
  • そういう成長の背景に、常に自分の仕事を振り返っていること。
  • こういう振り返りの機会として、こういう視察や発表の機会が役立っていること。
  • これら総体すべてが学びでもあるということ。

 

 

 県の仕事と基礎自治体の仕事

 

 3月まで飯田市で仕事をし、そこから県の仕事に変わってから、同じ自治体でも組織風土の違いに戸惑いも感じています。一番は基礎自治体、特に私が長く関わってきた社会教育の仕事は、仕事の先に住民の皆さんの顔が見えていたのですが、県の場合には政策の先に人が見えないと感じていました。

 今回の研修の中で船木さんや広石さんからは県の仕事はより「コンセプチュアルに」という指摘がありました。このことで少し整理がつきましたが、県は複数の市町村や現場とコミットできることで、それらの共通性などを概観し、そこから一般化や概念化を図り、制度や政策につなげていく仕事、ととらえていくことができそうです。

 ただし、この場合にも、具体的に人が動いている現場のリアリティを体感できるような場や経験が必要ととらえています。

 そのためには県の職員自身が何らかの地域づくりの現場で当事者としての生き方も合わせていくか、たくさんの現場や人と出会いながら、そういう人たちとのつながりや共感を作っていくような営みが不可欠です。

 

 組織が変わるために、まずは心が動く体験を共有し、共有したメンバーが職場を超えてチームとなる

 

 広石さんが「ガバナンス」について語っています。これは組織の構成員一人ひとりが主体性を持ち、そういう主体性を持った人々がチームとして協働しながら仕事や組織文化を積み上げていく状態です。

 これは船木さんが日ごろから言われている「学習する地域づくり」と同じ視点です。学習する地域づくりという言葉の背景にはピーターMセンゲの「学習する組織」という考えがありますが、それがまさにガバナンスが機能した組織のことを指します。

 一人ひとりが常に自分の仕事の中に「これでよいのか」という「問い」を持ちながら仕事をし、その問いを仲間と共に考えながらその解決の道筋を共有していく、そういう組織が、革新的な仕事のできる組織です。

 今回の視察がそういう組織作りの一歩となることを祈念しています。

 

 視察の最終日は9月11日、2011年3月11日の震災から6年半が経過した記念の日です。視察の合間に108人の生徒のうち74人が犠牲になった大川小学校を訪れました。

 これだけ大勢の子どもどもたちが犠牲になるという事実と、その場に立っていること自体がとてもやるせなく感じました。